歴史的に有名なパライバトルマリン鉱山

 この記事では、2024年3月に見学させていただいたその他パライバ鉱山の様子を紹介しています。この鉱山見学には中宝宝石研究所の北脇博士と国立科学博物館の門馬博士にご同行いただきました。その際の詳細は、中宝宝石研究所が発行しているCGL通信vol66「ブラジル/パライバ・トルマリン鉱山を訪ねて」に掲載されています。

 ご興味のある方は、北脇博士によるパライバトルマリンの歴史がわかりやすく説明されていますので、ぜひそちらもご覧ください。中央宝石研究所のホームページ上に掲載されています。

 キントス鉱山を運営するH&R社の看板です。かつてこの鉱山はドイツのポールビルド(Paul Wild)社が経営していたため、地元では「ジャーマン」と呼ばれていました。
 現在、表向きには採掘が行われていませんが、それでもキントス鉱山産のパライバトルマリンは市場に流通しています。
 このキントス鉱山もBPMと同様に、リオグランデ・ド・ノルテ州に位置しています。

 「キントス」という地名が入った看板を発見しました。この場所はパレーリャスの街から南に約10kmの山腹に位置しており、周囲には何もない静かなエリアです。

 キントス周辺の道では、牛がのんびりと道をふさいでいて、なかなか前へ進めません。
 のどかで牧歌的な雰囲気が広がる田舎道です。

 道中で見かけた「バターリャ」の標識。ここからは、かつてバターリャで稼働していた鉱山を紹介していきます。
 元々はひとつの鉱山だったバターリャの鉱区ですが、権利関係の問題もあり、現在は3つの鉱区に分割されています。
 具体的には、ジョン・ヒッキー氏の鉱区、ハニアリー氏の鉱区、エイトーリタ鉱山です。

 こちらはバターリャ鉱山のハニアリー氏の鉱区、通称パラズールです。1990年代の最盛期には約30人のスタッフが働いており、活発に採掘が行われていました。こちらの写真は当時の監視塔です。

 ご厚意でハニアリー氏の鉱区に入れてもらいましたが、現在は稼働しておらず、当時の面影を残すのみでした。
 鉱山の活気が感じられないのは少し寂しいものです。

 採掘当時の縦坑が残されており、今はしっかりと蓋がされています。安全面を考慮してのことだと思いますが、その穴の存在が、鉱山の歴史を物語っているようです。

 ハニアリー氏鉱区の旧縦坑入口は、かつてガリンペーロ(鉱夫)がバケツに乗って地下に入っていった場所です。
 2015年頃には小さなサイズながらもかなりの量が採掘されていたようですが、現在は採掘権に関する係争が続いており、そのため採掘活動は中止されている状況です。

 こちらはもう一つのバターリャ鉱区である、ジョン・ヒッキー氏鉱区の入り口です。こちらの鉱区も現在は稼働していません。

 鉱山からの帰り道、虫が飛び交い、毒蛇も出現するような険しい道を進みます。
 まるで大冒険のような気分です。