憧れのミャンマーにオフィスを作る

 私が初めてミャンマーを訪れたのはいつのことだっただろうか。今から20年以上前、学生時代にバックパッカーとして旅をしていた頃のことだ。タイ北部のメーサーイからタチレクの国境を越えたのが最初だったはずである。

 当時のミャンマーはほぼ鎖国状態で、外国人が訪れられる地域は大きく制限されていた。憧れのヤンゴンにも行きたかったが、「強制両替」という貧乏学生には厳しい制度があり、訪れるのを諦めた記憶がある。

 宝石の勉強をしていた私にとって、ミャンマーは憧れの地だった。その後、メーソットとミャワディの国境、プーナムロンとティーキーの国境を越え、計3度ミャンマーに入国したものの、ついにヤンゴンを訪れることはなかった。

 時は流れ、2013年。ついに念願のヤンゴンを訪れる機会がやってきた。ミャンマー国内の旅行制限が緩和され、民主化が進んでいるという情報を聞き、マンダレーからバガン、そしてヤンゴンへと旅をしたのが、初めての本格的なミャンマー旅行だったと記憶している。

 当時はホテルの需要と供給のバランスが悪く、質の悪い宿泊施設が驚くほど高かった。ちょうど「アジア最後のフロンティア」としてミャンマーへの外資流入が活発になっていた時期で、現在ミャンマーで事業をしている日本人の多くがこの頃に進出したと聞く。

 その後、コロナ禍の時期を除き、私は毎年ミャンマーを訪れることになった。憧れ続けたこの地と、長い年月をかけてようやく深く関わることができたのは、とても感慨深い。

 私がヤンゴンで最初にしたことは、宝石の取引が行われている場所を特定することだった。

 正直、前情報は何もなく、街を歩き回り、人に聞きながら探すしかなかった。ヤンゴンで初めて宝石商と交渉した時の興奮は今でも忘れられない。

 しかし、提示された価格は驚くほど高かった。考えてみれば、一見の旅行者に対して安く売る理由はない。相手からすれば、観光客向けの値段を提示するのは当然のことだったのだろう。

 ヤンゴンを訪れ始めてから約3年の間、年に1、2度足を運びながらも、ただ宝石を眺めるだけの日々が続いた。顔なじみの商人は増えたものの、親しく交流する友人はできず、提示される価格も相変わらず高いままだった。

 ある日、私の希望価格に近い値段を提示してくれる商人が現れた。交渉の末、ついに初めて宝石を購入することに成功した。その相手こそが、今では私のビジネスパートナーとしてミャンマーで共に仕事をする人物である。

 人との出会いとは、実に不思議なものだ。

 そして、その日を境に、明らかに提示価格が下がり始めた。少しだけ、この世界に認められたような気がした。

 こちらがボージョーアウンサンマーケットのメインストリートです。ドーム状の屋内は、灼熱の外気と比べるといくらか涼しく、ほっと一息つける空間になっています。

 2021年2月のクーデター以降、外国人観光客の姿はほとんど消え、人通りも大幅に減少しました。その影響で、多くの店舗が閉店を余儀なくされています。
 かつての活気あふれる市場の面影が薄れ、寂しさを感じずにはいられません。

 屋内の脇道に入ると、そこには宝石店や土産物店が並んでいます。メインの室内エリアは、特に宝石を扱う店が多く、観光客向けの品々も豊富に揃っています。

 マーケット内にある食堂では、美味しいミャンマー料理の軽食や飲み物が楽しめます。私は朝食をとる際、よくここから出前を頼んでいます。
 ローカルの味を気軽に楽しめる、便利な場所です。

 ヤンゴンでは日常的に停電が発生します。日本の輪番停電のように、地域ごとに停電の時間帯が決まっており、長いときは半日近く停電することもあります。それでも、灼熱の外気に比べれば、停電でエアコンが止まってしまっても、室内は比較的涼しくて快適です。外で宝石を見るのは、特に暑い時期にはかなり厳しいので、この環境下で事務所を借りられないかと現地のパートナーに尋ねたのがきっかけでした。

 ボージョーマーケット内には多くの店舗がありますが、そのほとんどは店舗の権利を放棄せず、維持しているため、空き店舗がなかなか出ません。現地の人でも空き店舗を見つけるのは難しいのが現実です。それでも、パートナーは「探してみるよ」と言ってくれました。

 「あの紫のドアの場所、人もいないし、看板もないし借りられるんじゃない?」
 いくつか候補を挙げて所有者を探してみました。運命なのか何なのか、私が話してから翌日には所有者が見つかり、ちょうど前の賃借人が退去するところだという話が戻ってきました。これはチャンスだと思い、「もうここを借りてしまおう!」と決断し、翌日には賃貸契約を交わすことができました。

 その後、内装や外装を整え、ついに念願の冷房の効いたオフィスを手に入れることができました!
ミャンマーでは外国人の行動に制限があるため、実際にはパートナーに借りてもらった形ですが、私がヤンゴンに滞在している間は、涼しい室内でゆっくりと宝石を鑑賞できるようになったのです!

 このマーケットを囲むように建っている建物では、エリアごとに取り扱っている品目が異なります。特にこのあたりは宝石関係の店が多いです。
 そして、私はこの2階に事務所を借りることになったのです。まさに宝石商たちの集まる中心地での仕事が始まることになります。

 こちらはAvdeevite。2018年に新種として登録され、2020年に論文が発表されたばかりです。
 現在、ミャンマー以外では発見されておらず、ペツォタイトとベリルの中間的な性質を持ちながら、少量のナトリウムを含むのが特徴です。
 非常に希少な鉱物のため、その一部を国立科学博物館と中央宝石研究所に寄贈いたしました。 希少な鉱物に出会えるのも、宝石の原産地にオフィスを構えている特権ですね。

 ヤンゴンでオフィスを借り、スタッフも二人いるからには、何かしらの仕事を作らなければなりません。少しずつでも前進することが大切です。
 まずはミャンマー産の原石を使ったシルバーアクセサリーの制作から始めることにしました!

 海外での交渉や仕事は、なかなかスムーズには進みません。日本の常識を一度捨てて、異文化の中で挑む必要があり、正直なところ大変な部分も多いですが、まずは初期ロットが完成しました。これが本当の「メイドインミャンマー」です!
 シリーズ名は「Love.Laugh.Rough.Series」です。

「Love.Laugh.Rough.Series」は今後さらに成長を目指して進んでいきますが、初期ロットは製品として十分にお客様にお届けできるクオリティに仕上がりました。今後は新しいデザインを考案し、さらに魅力的で可愛らしいアクセサリーを作り上げるために努力していきます!