パライバ採掘祈願の滝行に挑戦する
2024年8月某日、私は出羽三山で滝行を行いました。
実はこの滝行の前に、友人のインスタライブに出演したこともあり、当日は多くの方からコメントや質問をいただきました。とても嬉しかったのですが、「なぜ滝行をすることになったのか?」という経緯について話す機会はありませんでした。
この滝行は、私たちがパライバトルマリンの鉱山開発を再開したことと深く関係しています。今回は、その背景をお話ししようと思います。
チーム・グロリアス結成前日譚
私たちパライバトルマリン鉱山開発チームは、日本人5名とブラジル人2名の計7名で構成されています。今回の話は、鉱山開発のエピローグにもつながるもので、主な登場人物はヒデキさん、アキさん、タケシさん、マサさん、そして私の5人です。
もともと、私たちが現在開発を進めているパライバトルマリン鉱山は、ヒデキさん、アキさん、そしてブラジル人パートナーの3人が10年以上前から手がけていた場所でした。しかし、当時の産出量はごくわずか。インターネット上を探せば、その頃の情報の断片らしきものは見つかるものの、商業的に成功したとは言えない状況でした。

こちらは10年以上にわたる採掘の末に形成された跡地です。パライバトルマリンの産出量は限られていましたが、その中でも極めて高品質なものが確認されました。長い年月と努力の結晶が、この地に刻まれています。
私のパライバトルマリン鉱山にまつわる物語は、2023年6月の石垣島から始まります。しかし、ヒデキさんの物語はさらに20年以上前に遡ります。
ヒデキさんはもともとバックパッカーとしてブラジルに滞在していました。そこで偶然宝石と出会い、パライバトルマリンが発見された初期の段階で、日本向けの輸出を独占することに成功したのです。私にとって、ヒデキさんはまさに宝石史に名を刻む伝説的な人物の一人といえます。
その後、彼はブラジルで鉱山の採掘権を取得し、開発を開始しました。そこに法律関係の仕事をしていたアキさんが加わり、鉱山の操業を本格化。カオリン生成プラントを設立し、会社としての体制を整えながら開発を進めていました。しかし、その最中にコロナ禍が襲い、一度操業を中止せざるを得なくなったのです。
さて、この話の中で出羽三山の滝行がどのように関係してくるのか?
実は、ヒデキさんは10年以上前、出羽三山の神子(みこ)さんに未来を占ってもらったことがありました。巫女さんではなく、「神子さん」です。
当時はまだ小さな事業を営んでいたヒデキさんは、「将来フェラーリに乗れますか?」と尋ねました。神子さんの答えは、「あなたなら余裕で乗れるでしょう」というものでした。さらに、パライバトルマリンの採掘について相談したところ、「すぐ近くまで来ています。あとはパライバトルマリンの女神次第です」と言われたそうです。
それから数年後、実際にパライバトルマリンの産出には成功したものの、商業的に成功とは言えない規模にとどまりました。そして、時が経ち、コロナ禍による開発の頓挫や現地パートナーの病気などが重なり、ついには「鉱山を閉めるべきか」とまで考えるようになりました。
そんな時、偶然にも神子さんと再会します。鉱山の操業について相談すると、神子さんはこう答えました。
「もう足元にあるのに、掘らないという選択肢はないでしょう。あなたはこれから仲間と出会い、再びブラジルで鉱山を再開することになります。」
この言葉がヒデキさんの背中を押し、2023年の石垣島へ、そして2024年の出羽三山修行へとつながっていくのです。

こちらは、グロリアスマインで産出されたパライバトルマリンの原石です。この原石は日本に持ち帰り、出羽三山神社に奉納いたしました。
先に言っておくと、私はどちらかというと無神論者です。とはいえ、「まぁまぁ神の存在は信じるけどね」といった程度の、現代的な宗教観を持っています。
しかし、世の中には説明のつかない不思議なこともあります。例えば、私には「ある特定の宝石を手にすると、決まって悪いことが起こる」という経験が何度かありました。おそらく相性が悪いのだろうと思い、それ以来、その宝石には手を出さないようにしています。こういった出来事を考えると、目に見えない力の存在を完全に否定することもできません。
鉱山開発において、科学的な調査やデータ分析は欠かせません。しかし、宝探しのような事業では、時として運や直感、そして目に見えない力に頼りたくなるものです。実際、ブラジルへ向かう前日にも、私たちは神子さんの助言を求めました。
出羽三山の宮司にも認められたその方は、まるで現地の状況や未来の出来事が見えているかのように、驚くほど的確な言葉をくださいます。とはいえ、私は今でも完全に信じ切っているわけではなく、どこか半信半疑な部分もあります。
それでも、鉱山開発という大きな挑戦の中では、科学的なアプローチだけでなく、神の力や運命的な導きにも耳を傾けたくなるのが本音なのです。

こちらは、チームグロリアス結成前に訪れた美しい石垣島の砂浜の風景です。
では、私たちの出会いについてお話しようと思う。
私とマサさんは元々知り合いで、彼は私よりも一回りほど年上だが、良き飲み仲間として付き合っていた。マサさんにはとても可愛がってもらい、毎年6月には宝石商仲間とともに石垣島へ旅行に行くほど親しい関係だった。
そんな中、2023年にマサさんのお兄さんが逝去された。実は、そのお兄さんは元々ヒデキさんの会社に勤めており、パライバトルマリン鉱山開発にも関わっていた人物だった。その後、独立はしたものの、ヒデキさんとの関係は良好で、「コロナが明けたらまたブラジルへ行こう」と約束していたのだ。
そして、お兄さんの葬儀の場で、ヒデキさんと、同じくお兄さんの友人であるタケシさんが、マサさんと再会する。二人とは以前から面識はあったものの、それほど深い付き合いはなかった。しかし、これも何かの縁だと感じたマサさんは、彼らを毎年恒例の石垣島旅行に招待した。
この旅行が、私たちが集うきっかけとなる。元バックパッカーである私とヒデキさんは、すぐに意気投合し、その場で次回のブラジル行きを約束したのだった。
石垣島での出会いをきっかけに、次回のブラジル試掘に参加させてもらう約束を交わした。しかし、その後しばらく連絡がなく、「あれはお酒の席での話だったのかな」と、次第に諦めかけていた夏の終わり、一通のLINEグループの招待が届いた。
グループ名は「パライバ鉱山に行こう!」。なんとも魅力的な名前である。そして、2023年10月某日、私たち5人によるトラブル続きのブラジル試掘編が始まった。その時の詳細は別の記事に記載しているので、ぜひご覧いただきたい。
その後、2024年3月には第二回試掘を実施。そして2024年8月某日、出羽三山の神子さんの案内のもと、本格的な滝行を行うことになった。この日はマサさんが体調不良で参加できず、4人での滝行となった。
出羽三山のうち、まずは月山へ登頂

出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山の総称であり、江戸時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の霊山として知られていた。
こちらは月山の案内図である。月山八合目から頂上までの登山道は国立公園であると同時に、出羽三山神社の境内地でもあり、私有地となっている。特に頂上に鎮座する月山神社本宮は、広大な境内地の中でも古来より特別な神域とされており、参拝するすべての方がお祓いを受けるのが慣例となっている。

出羽三山神社の神子(みこ)さんのご案内のもと、日本の神山のひとつである出羽三山の月山へ登拝し、最初の目的地である月山神社を目指します。
前日の夜に車で出発し、寝ずに早朝から登山を開始しました。なお、車での移動は修行には含まれません。

月山は神聖な山であり、特に頂上にある月山神社本宮は、広大な境内地の中でも古来より特別な神域とされています。そのため、写真撮影が許可されていない場所もあり、注意が必要です。撮影の際は、必ず神子さんに確認をいただいてから行っています。

ここまで片道3時間以上、往復で約7時間の登山となりました。月山の開山期間は夏の約2か月半と短く、冬の間は雪に閉ざされてしまいます。また、頂上付近は写真撮影が禁止されているため、その神聖な雰囲気を知るには、実際に訪れるしかありません。
頂上の月山神社本宮ではお祓いを受けることができ、もちろん我々もパライバトルマリン発見祈願をしてまいりました。
ここからは滝の行を行っている御滝神社のある湯殿山です

月山登頂を終える頃には、すでに時刻は夕方になっていました。本来であれば翌日に滝行を行う予定でしたが、天候の関係で急遽そのまま湯殿山へ向かうことに。

朝からほとんど何も食べず、睡眠不足のまま湯殿山へ向かいました。とはいえ、何も食べなかったのは修行の一環ではなく、単に飲食店が閉まっていたからです。途中で食べた湯殿山名物の玉こんにゃくは、空腹も相まって格別に美味しく感じられました。
湯殿山神社本宮では、参拝の際に現在でも履き物を脱ぎ、裸足になって御祓いを受けてからでなければお詣りは許されません。そこはまさに、俗世とは切り離された神聖な領域でした。
出羽三山での修行は非常に神聖なものであり、基本的に撮影は禁止されています。また、その内容も他言無用とされているため、詳しく語ることはできません。
滝行と聞くと、夏場はさぞかし気持ちの良いものだろうと想像されがちですが、実際には真夏でも雪解け水の冷たさが肌に突き刺さるほどで、相当な覚悟が必要です。さらに、滝行の際の服装はふんどし一丁のみ。他言無用の修行であるため、湯殿山の門が閉まった後でなければ行うことはできません。
出羽三山は修験道の聖地であり、関東方面では古くからこの地への登拝を「奥参り」と称し、人生儀礼の一つとして位置づけてきました。出羽三山に登拝した者は、一般の人とは異なる存在、すなわち“神となることを約束された者”として崇められたといいます。
また、西の伊勢神宮を「陽」とするならば、東の出羽三山は「陰」とされ、対を成すものとして信仰されてきました。そのため、「伊勢参宮」と「出羽三山参拝(東の奥参り)」を一生に一度は成し遂げなければならない、という風習が根強くあったのです。
疲労困憊でたどり着いたのは今晩のお宿 羽黒山 斎館

私たちは、神聖な気持ちで滝行に臨んだわけではありません。自分を見つめ直すとか、霊力を身につけるとか、そんな気は微塵もなく、まるで高校生の修学旅行のようなノリでした。終始冗談を言い合い、笑いながら滝行に挑んだのです。
その話を宮司さんにしたところ、「修行は苦しみながらするものではなく、楽しめるのであればそれが正解」という言葉をいただきました。とても楽しい一日でした。

羽黒山に古くから伝わる精進料理は、「奥の細道」の旅で出羽三山を訪れた松尾芭蕉も味わったとされています。山で採れる旬の山菜、きのこ、タケノコなどが美しく盛り付けられ、心を込めて供されるこの料理は、まさに自然の恵みそのもの。
驚くほどの美味しさで、精進料理であることを忘れてしまうほどです。素材の持ち味を生かした繊細な味わいに、食べるたびに感動を覚えました。

夜はこの斎館で宴会が催されました。神域の中に建つ建物なので、お酒のような俗物は禁じられているのかと思いきや、実はそうではありません。お神酒の存在からも分かるように、お酒と神様は意外にも相性が良いのです。
この宴では、宮司さんや神子さんといった神職の方々と貴重なお話を交わすことができました。
出羽三山神社へご参拝

朝食ももちろん素晴らしいクオリティでした。すべての料理が丁寧に作られていて、精進料理の概念がすっかり変わるほどの美味しさでした。

今回の目的の一つである、私たちが奉納したグロリアスマイン産のパライバトルマリンの確認も無事に達成しました。こちらは以前、グロリアスマインで産出されたパライバトルマリンの原石で、非常に重く、日本まで運ぶのも一苦労でしたが、なんとか無事に届けることができました。
現在、このパライバトルマリンは出羽三山神社内に展示されており、これから何百年先まで語り継がれてほしいと願っています。

羽黒山の参道は全長約1.7km、2446段にも及ぶ長い石段が特徴です。両側には樹齢350~500年の杉並木が連なり、その数は400本以上にのぼります。これらの杉並木は国の天然記念物にも指定されており、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
また、この羽黒山の参道は、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で3つ星を獲得しており、日本が誇る特別な景勝地の一つとして世界的にも評価されています。

長い石段を上ると、三神合祭殿が堂々たる姿を現します。ここには、月山神社、出羽神社、湯殿山神社が祀られており、日本屈指の壮大な社殿として知られています。
特に目を引くのが、茅葺屋根と、総漆塗りの豪華な内部。圧倒的な存在感を放ます。
合祭殿前にある鏡池は、平安時代から参拝者が銅鏡を奉納してきたことに由来し、その名がつけられました。数百枚の銅鏡が池の底に埋納されており、神秘的な雰囲気を漂わせています。
夜の宴では、くだらない冗談から神様にまつわる真面目な話まで、実に興味深い話が交わされました。出羽三山神社の宮司さんはとても気さくで、お酒好きな方でした。お酒の勢いも手伝って、「幽霊は見えるのか?」「東京に結界が張られているというのは本当か?」「ここで行われる儀式には本当に力があるのか?」といった都市伝説めいた疑問をぶつけてみました。
宮司さんはどんな質問にも丁寧に答えてくれましたが、中にはここで語るのをためらうような話もありました。とはいえ、一つだけ、特に印象に残った言葉があります。それは、「お祓いや祈祷に本当に効力があるのか?」という問いに対する宮司さんの答えでした。
「正直なところ、私たちにもわかりません。私たちは古くから受け継がれた祝詞や儀式のやり方を知っていて、それを後世に伝える役割を担っています。しかし、何の効果もないものが、これほど長く続いてきたとは思えません。祈祷を受けたあなた自身で、その答えを確かめてみてください。」
私は今回、出羽三山の三つの神社で祈祷を受け、さらには祈祷の際の儀式にも代表として加わりました。そして、その後の出来事を振り返ってみると、確かに「効果があった」と感じています。具体的には、この後すぐにミャンマーへ行った際、借りるのが難しいと言われていた事務所を驚くほどスムーズに借りることができました。また、個人的な話ですが、大好きなAdoの握手会のチケットにも当選しました。私はAdoが「マーズツアー」という名前に込めた想い——“夢が叶ったその先の、誰も行ったことのない場所へ行く” という話をライブで聞いたとき、「じゃあ私もブラジルくらい行ってやるか」と思い立ちました。そして、本当にここまで来ることができました。
そんな私にとって、Ado本人に直接お会いして感謝を伝えられたことは、何よりもうれしい出来事でした。
もちろん、これはあくまで私の個人的な感想ですが、もし興味があるなら、ぜひ一度ご祈祷を受けてみるのもいいかもしれません。