一生に一度でいいから見てみたかった宝石 前編
宝石業に携わって20年以上が経ち、気づけば長い月日が流れました。幼い頃から宝石に魅了され、学び続けてきた私は、ずっと一度は実際に目にしたいと思っていた宝石があります。それは、イギリス・ロンドン塔に展示されている「カリナンダイヤモンド」、アメリカのスミソニアン博物館に展示されている「ホープのダイヤモンド」です。今回の話は、ブラジルへのトランジットを利用して、これらの名宝を実際に見に行った時のエピソードです。
ブラジルに行く時のトランジット問題
以前の記事でも触れた通り、現在私はブラジル・パライバ州にて、パライバ鉱山の開発を進めています。その関係で、年に数回はブラジルへ渡航する必要があります。鉱山開発といっても、まだ初期段階。ライセンスの取得、現地法人の設立、インフラ整備など、実際の採掘はこれからという状況ですが、それでも現地でのタスクは山のようにあり、渡航は欠かせません。
そこで毎回悩まされるのが「トランジット問題」です。現在、日本とブラジルを結ぶ直行便は存在せず、必ずどこかで乗り継ぐ必要があります。しかし、私にとってこのトランジットはちょっとした楽しみでもあります。地球の反対側へ向かう旅の途中、さまざまな国を経由できるというのは、宝石探しとはまた違った魅力です。
最も一般的なのはアメリカ経由ですが、イギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国、ドバイ、エチオピア、メキシコなども選択肢として存在します。目的地に着くまでの道のりに、ほんの少し自分の“好奇心”を混ぜ込めるのが、長距離フライトの醍醐味かもしれません。

2023年10月某日の空の上。この飛行機に乗っている時点では、この先移動に4日近くかかるとは想像もしていませんでした。
初めてブラジルに渡航した際に選んだトランジット先は、最も一般的であるアメリカでした。当時は同行者もおり、確かチケット代の安さが決め手だったと記憶しています。ただ、旅はまさに“波乱の幕開け”といった感じでした。
その時のメンバーは私を含めて5人。チケットの都合で、4人が成田発、1人が羽田発となり、ロサンゼルス(LA)で合流して同じ行程に乗る予定でした。成田と羽田、それぞれほぼ同時刻のフライトだったのですが、成田発の便が遅延し、LAでのトランジットに失敗。私たち成田組は予定していたLA発サンパウロ行きに乗れず、急遽ペルー・リマ経由のルートに変更されることになりました。

予定外で辿り着いたペルー・リマ。まさかこの地で、またしても仲間と分断されることになるとは思ってもみませんでした。
実は、私にとってペルーは少し特別な場所。幼い頃からの夢が「マチュピチュに行くこと」で、それを叶えたのが20代前半の頃。そんな思い出の地に、今度はまったく予期せぬ形で、しかもトランジットの途中で再び降り立つことになるなんて…本当に人生は何が起こるかわからないものですね。

こちらはペルー料理を代表する一品、「セビチェ」。酸味と旨味のバランスが絶妙で、旅の疲れを一気に吹き飛ばしてくれました。

こちらはペルーの国民的飲料「インカコーラ」!この黄金色と独特の甘〜い香りは、一度見たら、いや、一度飲んだら忘れられませんよね。私にとっては中学生の頃にその存在を知って以来の憧れで、20代で初めて口にした時は「これがあのインカコーラか…!」とちょっと感動しました。とはいえ…正直、味は賛否両論です。
仕方なくLAではハリウッドを軽く観光してからリマへ移動。リマでもトランジットの時間がたっぷりあったので、市内観光を楽しむことができました。ところが、サンパウロ行きの便に搭乗する直前にトラブル再発。同行者のうち一人のチケットだけが別便になっていることが判明し、その便はすでに出発済み。結果、1人がリマに取り残される形で、別行動を取ることになりました。
ようやくサンパウロに到着したものの、目的地であるパライバ州・ジョアンペソア行きの便にも間に合わず、今度はブラジリア経由に変更。そこからようやく、遠回りに遠回りを重ねて、目的地に辿り着くという、なんとも複雑なルートとなってしまいました。
ちなみに、当然のごとく荷物はロスト。ただ不思議なことに、私たちよりも先にジョアンペソアに到着していたのは、そのロストしたバッグたちでした。今となっては笑い話ですが、あれは間違いなく“洗礼”だったと思います。ちなみに復路はボストン経由でしたが、大きなトラブルもなく帰国することができました。
ロンドンでトランジットをする
そしていよいよ本題、ロンドンでのトランジットのお話です。これは二度目のブラジル渡航の際のこと。今回は現地での合流が決まっていたため、サンパウロ集合という条件のもと、私はちょっと変則的なルートを選びました。
往路はというと、東京 → ロンドン → ベルギー → 再びロンドン → サンパウロ。復路はサンパウロ → ニューヨーク → ワシントンDC → 再びニューヨーク → 東京。ベルギーでは、ちょうど好きなアーティストのライブが開催されていたので、それもルートに組み込んでの小旅行。
そして、このルートにロンドンを組み込んだ最大の理由が、「一生に一度は実物を見たい」と願っていた、あの伝説の宝石たちを目にするためでした。長年の夢を、トランジットという形でついに叶える、そんな旅の計画だったのです。
憧れのロンドン――その日は、私の想像していた“霧の街”とはまるで違って、抜けるような快晴でした。
有名な観光地の多くは、頑張れば徒歩圏内。初日はひたすら歩き回りました。バッキンガム宮殿、タワーブリッジ、ウエストミンスター寺院、ビッグベン、ロンドンアイ…。地図でしか見たことのなかったランドマークたちを目の前にして、テンションは上がりっぱなし。そして、いよいよこの旅の本命――ロンドン塔へ。
ロンドン塔には、かの有名なカリナン――史上最大のダイヤモンド原石からカットされたダイヤを初めとした宝石の数々が展示されています。英国王冠の台座に収められた黒太子のルビー(実際にはスピネルと判明しています)もそのひとつ。そのほかにも、コ・イ・ヌールをはじめとした圧巻の大粒ダイヤモンドがずらり。
ただし、展示の中には現在は一般公開されておらず、イミテーションに差し替えられているものも。カリナンの前には動く歩道が設けられており、立ち止まってじっくり眺めることはできません。しかし運よくその日は空いていて、5往復ほどして思う存分堪能しました。
宝石好きにとって夢のような空間。その輝きは、今も心の奥で静かに光を放ち続けています。

長年の夢が叶う瞬間――ついにやってきました、憧れのロンドン塔。
余談ですが、子供の頃は「ロンドン塔」という響きから、てっきり“ロンドン島”という孤島にそびえ立つお城のようなものを想像していました(笑)。実際はロンドン中心部、テムズ川のほとりに堂々と佇む歴史ある要塞。想像とは違っても、その威厳と雰囲気に思わず息を呑みました。やはり、本物を目にするというのは格別ですね。

ここから先は撮影禁止エリアのため、写真を残すことはできませんでした。少し残念ではありますが、それもまた、現地でしか得られない特別な体験のひとつ。
とはいえ、カリナンの写真はネット検索や書籍を通じて見ることができます。けれどやはり、実物を前にしたときの圧倒的な存在感や、威厳ある輝きは、写真では到底伝わらないものがあります。限られた時間の中で、目に、心に、その姿をしっかりと焼き付けてきました。
ヴィクトリア&アルバート美術館に行こう
さて、ロンドンで宝石鑑賞を楽しむなら、絶対に外せないのがヴィクトリア&アルバート美術館です。
ここは、中世以降のジュエリーコレクションが一堂に会する、まさに宝飾の殿堂。歴史の教科書や宝石の専門書に掲載されるような、名作中の名作――つまり“本物”たちが、目の前に並びます。
ルネサンス期の芸術性あふれるブローチや、王侯貴族が愛したきらびやかなジュエリーたち。宝飾の歴史そのものを体感できる貴重な場所です。
宝石愛好家はもちろん、ジュエリーデザインに関心がある方や美術好きにとっても、心を震わせる時間になること間違いなし。ロンドンを訪れる際には、ぜひ足を運んでほしい場所です。

こちらはロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に展示されている、宝飾品用の宝石の展示です。
ただ石を並べるだけではなく、「見せ方」そのものが芸術として昇華されている点がとても印象的で、宝石の持つ美しさや多様性をダイナミックに感じられる展示です。まるで宝石そのものが螺旋を描きながら語りかけてくるような、不思議な引力を持っています。ジュエリーに携わる者として、創造力を大いに刺激される瞬間でした。

ルネサンス期の名作として知られる「カニング・ジュエル」。
非常に珍しい“マーマン(男性の人魚)”モチーフのデザインで、ルネサンスらしい装飾美とユニークさを兼ね備えた逸品です。
アンティークジュエリーやルネサンス期の装飾芸術を扱う書籍や資料には、ほぼ必ずといっていいほどこのブローチの写真が掲載されています。
現在はロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館にて常設展示されており、必見の一品です。
今回ご紹介したロンドン塔やヴィクトリア&アルバート美術館以外にも、ロンドンには宝石鑑賞を楽しめるスポットがいくつもあります。
たとえば、大英博物館。その規模はまさに“圧倒的”で、展示品の多様さから宝飾が展示されている印象は薄いかもしれませんが、実は数多くのジュエリーや装飾品が展示されています。ただし、その多くが古代の工芸品やエスニックなデザインのものなので、いわゆる“煌びやかな宝石ジュエリー”を期待していると少し印象が違うかもしれません。
また、美術館の宝庫であるロンドンでは、他にも訪れるべき場所があります。
中でもナショナル・ギャラリーは、私のように美術にあまり詳しくない者でも、つい時間を忘れて見入ってしまうほどの名画の数々が並びます。
ロンドンは「宝石」と「芸術」が自然と生活に溶け込んでいる街。そんな魅力にあふれています。
ついでに、今回はロンドンだけでなく、ベルギーのブリュッセルにも立ち寄ってきました。目的は完全に個人的な趣味のため、詳細はここでは割愛しますが……まあ、またやらかしました。ヒースロー空港でまさかの乗り逃し。本当に、海外移動にはトラブルがつきものですね。
正直に言えば、今回の件については「いや、それは空港職員の案内のせいでしょ」と言いたくなるような部分も多々あり、もう二度とこの航空会社は使わないだろうなと思える対応もされました。それでも、ベルギーでの小旅行自体はとても充実していて、結果としては行けて良かったと思っています。
ちなみにヒースローでは翌日の便に変更することになり、余計な出費が発生。ネットで予約した空港近くのホテルは地図情報が誤っていて、雨の中2時間ほど迷子になりながら歩く羽目に。ようやくたどり着いた頃にはぐったりです。極めつけは、空港で購入した翌日の便のチケットが、翌朝空港に行ったら勝手にキャンセルされていたというオチつき。しかも、ブリュッセルのホテルには一日遅れる旨を事前に連絡していたにもかかわらず、予約はキャンセルされていて、一泊分が請求されるという追い打ち。もちろん、その分の返金もありませんでした。
……とはいえ、目的のスケジュールには何とか間に合ったので、最終的には「まあ、よしとしよう」という感じです。
旅にはハプニングがつきもの。でも、それも後から振り返れば思い出になります。たぶん。

ブリュッセルといえば、やっぱり外せないのが「しょんべん小僧」と「グランプラス」ですね。こちらは、その「しょんべん小僧(マネケン・ピス)」の写真です。
本当は予定通りにベルギー入りできていれば、アントワープにも足を伸ばすつもりでした。アントワープはダイヤモンドの街でもあり、個人的にも非常に興味深い場所なので、行けなかったのは正直かなり残念。また訪れる機会はきっとあるはずです。
今回は、トランジットを活用して夢を叶えた旅の前編としてお届けしました。この後、私はサンパウロへと向かい、そこからミナスジェライス州、そして最終目的地のジョアンペソアへと旅を続けています。
この続きとなるブラジル国内でのエピソードについては、別の記事にてご紹介しています。そちらでは、現地での出来事や鉱山開発の様子、各地の空気感なども綴っていますので、ぜひ併せてご覧いただければ嬉しいです。